『新古今和歌集』を編纂、鎌倉期の代表的歌人
藤原家隆(ふじわらいえたか)
藤原家隆は藤原定家らとともに『新古今和歌集』を編纂した鎌倉初期の歌人です。
後鳥羽上皇からの信頼が厚く、承久の乱の後も二人の親交は絶えることがありませんでした。家隆塚(かりゅうづか)の呼び名を持つ墓所は、勝曼院北にあり、極楽門といわれた四天王寺の大鳥居にほど近く。病で出家した後に四天王寺に入り、夕陽庵(せきようあん)という庵を設けたことが夕陽丘の地名の由来だそう。
「ちぬの海(大阪湾)」に沈む夕日を眺め、その彼方にある極楽へ行くことを望んだと伝わり、石碑には「契りあれば難波の里にやどりきて浪のいり日ををがみけるかな」の歌が刻まれています。